母の記憶の賞味期限は半日程度か…深夜のせん妄の件は、朝の時点ではまだ覚えていた。朝の第一声は「昨日の夜はごめんなさい」から始まった。どの程度覚えているかを確認するのも面倒なので「もういいから…」の一言で終わらせた。ここで私がニッコリすれば、母の不安も減り、私の負担も減る。それは頭では分かっている。し、か、し・・・笑えない、どうしても笑えない。顔が固まってしまい能面顔の私・・・
そんな訳で今日もマイナス状態でのスタート。母との関係は一週間どん底状態が続いているが、まぁいつかは抜け出せるだろう(笑)。
今日は29日、いわゆる年末の一日。年内最後の片付け等を地味にこなす。
母との接触は
①朝の挨拶+朝の見回り+ゴミ出し+外掃きで4~5回
②母の散歩に行こうか相談+散歩行く挨拶+帰ってきた報告で3回
③お金の相談をしたい電話➡午後にして、と伝える。
④母の昼ごはん用意
⑤母からお金相談・・・といっても孫のお年玉をいくらにするかの相談!
⑥私が買い物に行く時にわざわざ「いってらしゃい」を言いに出てくる。
➆帰ってきたら「お帰りなさい」と言いに出てくる。
⑧母の夕飯用意
これでも今日は少ない方だが、覚えているだけで、19時の時点で13回以上。たまらんなぁ~💦。
夕飯を用意して、母が食べ始めたところで、母の部屋の窓のシャッターを下げて、階下に降りる。が、少しして、母が血相変えて慌てて降りてきた。
「まるこちゃ―――ん」
「どしたの?」と私。すると母、
「声かけても返事がないから窓から落ちたのかと思って・・・」
「・・・」言葉を一瞬失う私。
「落ちてません。以上」・・・理解不能だ。
そしてまた10分後、
「ちょっといいかしら?」
「は?何?」
「ちょっと・・・来てください」と悲壮感全開、有無を言わさず二階に連れていかれる。「さっき用意したお年玉がないんだけど・・・」
ふと目をやると、いつもの場所に孫のお年玉がある。目の前だ。
母の目は節穴だ。目の前にあるものが認識できない・・・これが病気+年齢による老化というやつなんだろう。
「そこ👉」呆れて冷たく指さす私・・・それでもまだわからない母。
「いつもの場所」もう必要最低限の言葉しか出てこない。
やっと見つける母「これだったかしら?」
『オイオイオイっ勘弁してくれよ~』と心の中で大絶叫する私。
母の迷走はさらに続く。
「あと、いつものノートがないのよ。」
『オイオイオイっ隣にありますがなっ(呆)』と心はもう関西弁。
「そこ、隣、予定表の上👉」
「あら」母、ノートを手に取ってマジマジと見つめている。
「はいはい、よかったよかった」ため息と共に下に降りる私。
そしてまた10分後、そぉ~っと扉が開く。
「ちょっといいかしら?」
「また怒られるようなことしちゃったんだけど・・・」
私「・・・」言葉も出ない。
さすがに見かねた娘が「何?見に行こうか?」と対応してくれた。
降りてきた娘曰く「換気扇のボタン押しちゃったんだってぇ~」
今日はまだまだ続きそう・・・ボケは続くよ、どこまでも。