今朝も朝散歩に行って、アイスクリームを買ってきた!と母はご機嫌、まるで子供のようだ。年を取るというのは、生まれた時に再び戻っていくことだと実感する。その分岐点がいつになるのか判らないが、人によって急激に戻る現象が認知症だったりするのかも、と思う。
さて、うちには犬が一匹いる。トイプードルの女の子『モアンちゃん 13歳と10か月』
モアンです。0歳からこの家にいます。みんな私を頼り過ぎていて本当に困ります💦
彼女は立派な家族の一員で、みんなの癒しの存在、精神的支柱である。嬉しい事、辛い事、みんなの気持ちを全身全霊で受け止める我が家の『神』なのである。
ただ、そうはいっても母以外は皆モアンを『犬』と認識している。しかし、母は違う。母にとってはモアンは本当に神であり、同じ人間だと思って接している。『話せばわかる、言えばわかる』と心底思っているのである(笑)
そういえば、母が若い頃に飼ったという犬の話を聞いたことがある。犬種はスピッツだったらしい。人間と同様に扱い、犬に気を遣っていたらすっかり犬が偉くなってしまい、吠えまくるので人間の方が家に入れなくなってしまったそうだ。私からすれば嘘のような話だが、母と祖母の性格からすると納得できてしまう。母達が生活出来ない程犬が偉くなってしまった為、その犬は別の家にもらわれていったそうだが、全く(犬が)可哀そうである。小型犬ですらそうなのだから、もし大型犬だったらどうなっていたのだろうか。犬を養育するのにも適性があると思うが、母は犬を育てる適性はゼロである。
そんな母だが、今、日々の一番の生き甲斐は『犬のおやつ係』。以前、母に留守番の時の備えとして、おやつを用意していたら、いつの間にか毎日母が喜んでおやつとあげるのが習慣になってしまった。犬の為にも出来れば止めたいのだが、母はそれが生き甲斐なので『それだけは奪わないで』と懇願する。仕方ない。
母に変な時間のおやつの習慣をつけられてしまったモアンは、変な時間にドアの前に立って鳴く。しかしモアンには何の罪もない。
そしてさらに私が困るのは母が始終モアンを気にしていることだ。階下でモアンが鳴いているといっては、見に来るし、モアンがコタツの中にいて姿が見えないと母は『モアンちゃんがいない、いない』と大騒ぎする。全く落ち着かない。我々にとってもいい迷惑だし、モアンだって、ほっといて欲しいに違いない。この『モアンいない問題』は一日3回位発生している。他にもまぁいろいろ挙げればきりがない。
モアンも老犬、最近は寝ていることが多くなった。今年の3月には14歳になる。人間でいえば80過ぎだ。犬にも人間にも寿命がある。モアンは私の母に対するイライラや愚痴も全て吸収してくれてきた。本当に感謝しているし、申し訳ないと思っている。昨日より今日、今日より明日、もっと愛情をかけてやりたい。モアンにはいつまでも元気でいてもらうことが、母の生き甲斐、そして我々家族の願いである。