ババオは、ますますおかしくなっている。様子は確実に悪化している。
顔つきも陰気そのもの、すっかりノイローゼ顔になり「私はおかしくなってしまった」と悲観ばかりしている。口を開けば「ごめんなさい、ババちゃん変だね」と言い、足元もおぼつかないようでフラついている。昨日までイライラしていた私も、今日はさすがにどうしたものか、と困惑している。
言動もおかしい。午前中には急に・・・
昨日は、会社の方々がたくさんいらしてたみたいね。皆さんでにぎやかにしていたようね・・・。
などと、言いだす始末。勿論誰も来ていない。来ているわけがない。
えっ?どこに?誰も来てないよ。来てないし、このコロナで誰も来るわけないし、呼ぶわけないでしょ。
でも、会社の方々がそのあたりに・・・。
会話が噛み合わない。またせん妄が起こったか。
ちなみに、家に誰か来るなんてとんでもない。このコロナ禍、私自身もこの一年、家族以外は友人ともご飯を食べにすら行っていない状況なのだ。
ババオには趣味がない。今迄の趣味は宗教に行き、人の世話を焼き、その愚痴を私にいって共感してもらうことで生きてきた。今は一日中ぼーっとしているだけだ。コロナで宗教にも行けなくなった。かといって、私がつきっきりで面倒見るわけにはいかない。二世帯なのだから、普通よりは、安心して暮らしてもらいたいのだが、寂しくて寂しくて仕方ないようだ。
実は昨日の夜、こんなやりとりをしてしまった。
まる子ちゃんにすがって生きていかないと、もう生きていけないの。
そんなのおかしいよ。人間はみんな自分で、自分の人生いきていくんだよ。私の方が先に死ぬかもしれないし、人間はみんな、自分で自分のことを決めていくんだよ。
ちょっとキツイことを言い過ぎてしまったのかもしてない。
子供だから親の面倒をみる覚悟は出来ている。でも、全部私ばかり頼ろうとするのではなく、ちょっとだけでも自分でも生きていこうという気持ちを持ってほしかった。今は、それは鬱の人には酷なのだ、と反省している。
ババオは84歳にしては、杖もつかずに歩けるし、耳だって遠くないし、普通に階段の昇り降りだって出来る。充分だと思うのに、全てネガティブにばかり考えて、出来ないことばかり探して落ち込んでいる。これが老人性鬱なんだろうということはわかっているが、さすがに私もババオに振り回されて疲れきってしまった。家族って難しい。
今日は私も疲れがピークなのか、ババオの悲しい顔を見るのも辛い。
さっき、いつも通り夜に様子を見に行った。いつも夜中に2回見に行くのだが、ババオは2回とも、いびきをガーガーかいて熟睡していた。
・・・ちょっとホッとした。
明日はどうか、いい日になりますように。